今回も昔の事を語っていく記事にしたいと思いますよ。みーつです!
題名通り、私には、誇ってはいけないであろう過去があります。
だけど、今日時間があったので、記事に関連するワードを色々と検索をしたのですが、それっぽいワードは全くと言っていいほど出てきませんでした。
息子が親とのやり取りを無くして、日々過ごしています。といった記事が全くなくて……
もしかしたら記事にすると似たように、悩んでいる人がいるかもしれないと思ったのです。もしよければ目を通していただければと思います。
親に孫を見せたことがない。
私には元気で可愛い最高の息子が産まれました。まじで可愛すぎる。
しかし、まだ親には会わせていません。それどころか、血のつながった人間、いわゆる親族には誰一人として息子を見せてはいません。僕に息子がいる事すら知らないと思います。
もちろん、少しは見せたいと思います。見せたら、家族みんなに優しくしてもらえるかもしれない。
あくまで、“かも″ですけどね。
けれどこの希望のような感情は呪いだと思っています。
子供にかかった“親を愛してしまう”といった呪いだと考えています。
私は、自分の実体験で語ります。
子供には、親に愛してほしいという感情を抱くように呪いがかかっています。親の事が嫌いだ。絶対にもう親とは会話なんてしない。親なんて死んでほしい。親なんてクソだ。絶対に生きててほしくない死んでほしい。消え去ってほしい。こんな奴なんて。
そんな事を考える。けれど考えた時点で、もう愛してほしいという呪いがかかってるんです。
一ミリも愛情が無ければ、親の事なんて考えない。
私は親の事が嫌いです。
こんなことを言いつつも
結局のところ、自分は親の事が好きなんだと思いますよ。
色んな事を裏切られて、結局離れて暮らすしかないって、30歳になってやっとこさ理解したけれど、息子を見せたら色んなわだかまりが消えて、すべてが良い方向に転んだりもするんだろうか。なんて思ったりもするんです。
けれど、そんなことは無いってことも確信しているんです。
間違いなく自分自身が傷つく。何度何度何度何度何度何度傷つけば、心の底から、真に気づくのか。ってぐらいに傷ついてきて、絶対にいい方向に転んだりはしないんです。
きっと、親が死んだことを後から知って、後悔する。
そんないわばマイナス100点が、自分にとっての最良なんです。
あってしまえば、マイナス100点以下になる可能性すらありますからね……
子供はどうしても、親に可愛がられたくなるんです。
無償の愛は、親から子供になんてことは無い。無償の愛は子供から親に注がれているものです。
親を捨てたというのは、一体。
自分が親に、期待してしまう人間だという事は知っていました。
人生で3回、苦しい、悲しい思いをしました。本当に嫌な、死んでしまいたくなるような、死んでしまいそうな思いをしました。
けれど、息子が産まれて、親の事を考えてしまうのです、母一人で息子と娘、二人も育てるのは大変だっただろうな。高校まで出してくれたのは、ありがたかったな。ってちゃんと思うんです。
けれど、感謝できることがあるから、どんなことも許さなきゃいけないって事ではないと思うんです。
それでも、心が勝手に許したいと思ってしまうんです。この呪いが、最低な呪いがかかっている。
だからといって、誰かが会わしてくれるってなっても断るんでしょうね。
もう、親にも、妹にも会う方法はありません。
家族の連絡先、すべて消しました。
連絡先を知っていたら、連絡を取ってしまうかもしれない。だから連絡を消しました。
電話番号も変えました。引っ越しました。これで、呪いから逃げきれたでしょうか。
ここまで
自分が親になって思うのです。
親は、本当に無償の愛を注いでもらっている。親が近づいただけで、あれだけ嬉しそうに笑ってくれる。
施設に預けられた子供、母親一人に育てらえた子供は、あった事のない父親に会いたいと思うらしい。
親は子供に愛してもらっている。
息子を大切に育てたいと思う。ありがとう。心から、愛しています。
ありがとう。自分を一人で育てた母にも感謝しときます。
もう、会うこともないだろうけど。
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